草木塔について
- 草木塔は江戸時代の半ば(1780年)、今の山形県米沢市田沢地区塩地平地内に建てられたのが最初といわれ、米沢市周辺と置賜地方に数多くみられます。しかし草木塔が何のために建てられたのかについては様々な説があり、学術的に確かなことはわかっていません。
- 現代では、自然と人との共生という観点から改めて注目されるようになり、草木塔の精神に共鳴する人々によって、各地に多くの新しい草木塔も生れてきています。
- 草木塔の総数は全国で約170基、関連の類似塔を含めると190基以上ともいわれていますが、江戸期の草木塔は34基で、そのうち32基が置賜地方にあります。米沢市域には17基です。
- 中でも草木塔発祥の地とされる田沢地区には、江戸期に建てられたものが10基、ほかに類似の関連等が1基あります。
- 「道の駅田沢」と三沢西部小学校には、現代の草木塔が建てられました。
田沢の歴史 なぜ草木塔があるの?
- 田沢地区は昔から林業がとても盛んなところでした。御林(おんばやし)と呼ぶ米沢藩(上杉氏)の御料林を抱え、バイタ(薪材)を川を使って米沢城下に送る大規模な「木流し」が、江戸時代から昭和初期まで続いていたのです。
- 大量の樹木の伐採、搬出、流送、陸揚げなど一連の作業は、地区を挙げて組織だって行われていました。かつての田沢では、山仕事と木流しは暮らしの中でなくてはならないものでした。田沢の人々は昔から、草木(樹木)に対する感謝の心、自然の力に対する畏敬の念を抱いてきました。
- 米沢藩の広大な旧御料林は、明治以降、曲折を経て一般財団法人田沢自彊会が引き継ぎ、地区住民みんなの山(材産)として、今も大切にされています。