田沢に伝わる民話(1/2)
その1 大荒山不動尊の生い立ち
- 昔 昔、それこそ昔の事だごでなあ。
- 大荒山のお不動さまは、八谷の普洞沢の胎内くぐりにてお生まれになったそうだ。普洞沢のお釜で産湯をつかって加減沢の水で湯加減をされ、そして取り上げられたなだど。ほだもんで今でもそこは「カゲン沢」として残っておるんだそうだ。
- その後、普洞沢の本沢をカゲン沢と言ってな、そして十五年後元服されて大荒沢のお滝にお移りになったということだそうだ。その普洞沢からの引っ越しされた時、木の葉や、草まで皆赤くなったと言い伝えに残ってるんだと。
- その後私達若い頃、沢山の伐株(きりかぶ)が残っておったんだと。
- 御山の大滝平や、小滝平に何百年もたった杉の大木がいっぱいあってな。明治十年頃だったと思うが米沢の相田材木屋が買って伐ると、一天にわかにかきくもり一寸先が見えなくなり、雨嵐となり、木の上には、天狗のような物がとんでくるし、それで止まり木を伐ることは、できなかったんだど。今から三、四代前の田沢寺が行って毎日祈祷してようやく伐ることができたという話が残っておるんだと。
- お不動さまは、尊(あら)たかな神さまで御山にこんなこともあったんだと。
- 春山に登り泊まっているには、大小便は、土を掘って用をたし毎朝水を全身にかぶり祈祷して、毎日の無事をお祈りして稼いでいたもんだと。家でも〆縄を張りお精進し家では、夜だけ、肴(さかな)を食べることができたんだど。
- こんなこともあってな、御山に登り泊まって仕事をしていると近くの家で人が逝くなり知らせに行くことになったんだと、姑が遠山に知らせに行ったところ、お吸い物の蓋をとってみたら、玉子の吸い物であったもんだから御馳走にならずに帰ってきたんだと。
- 御山で仕事をしている人の返した木のてっぺんに鶏のおんどりが止まり刻(とき)をつくったので山にいる人は不思議に思い家に何かあるかとおもって戻ってみるとその通りの話だったんだど。
語り:内藤 三郎