田沢に伝わる民話(2/2)
その2 力持三十郎
- 昔、白夫平に、三十郎と言う方がいだっけど、生まれつき体が弱く、どうにかして一人前の人間になりたいもんだと思っておったど。
- 昔の若衆の休みは一ヶ月に二回ぐらいなものだったど。部落の二ヵ所当たりに、昔からの「番持石」というのがあったごんだど。一番大きな石だと二十五貫ぐらい、それを力の強い人はのし上げたもんだど。次は十五貫ぐらいでこれは普通の人がのし上げることができたものだったど。
- これを若衆は休みの楽しい遊びとしておったそうだ。
- 三十郎にしてみると、人並みの七分ぐらいしか力がないので、それがくやしくて、くやしくてなあ~。人のおらない夜、又は、朝早く番持石にすがり、力を出していだげんでも、なかなか一人前にはなれず、これ以上力を出すには、お不動さまにおすがりして神様のお力を頂く外はないと、三、七、二十一日の丑の刻参り、無言の行を祈願をしたごんだど。家を出だすのは夜の十一時頃で、お不動さまのお堂に参拝して、奥の滝まで深夜二時、丑の刻に参拝する事ができる様に行ったそうだ。
- 一週間目、お不動さまに行き、柏手を打って参拝していると、お堂が傾いてきたので、それを元通りにしてそれからお滝参りに行ったもんだど。信仰を積むにつれて、家から履いて出た白足袋には、土もつかず道の両側に灯明が並び、万灯(ばんとう)のごとくであったということだ。神様の心だめしとでも申しますか、大きな牛なども道に寝ておったこともあったそうだ。
- 満願の日の丑の刻の参拝にお不動さまに「三十郎」と一声呼ばれたので、たまげてしまい「はい」と返事をしてしまったごんだど。そうすると、お不動さまの持っている剣(つるぎ)でひとつきされ前歯がみなない人であったど。
- その時返事をしながったらもっと強い力を授かっておったべげんでも、それでも倍の力をいただきそれからの三十郎は力持ちの三十郎と言われるようになったごんだど。
語り:内藤 三郎